2011年2月5日土曜日

あれから一ヶ月が過ぎました

秋田住職がブログを更新くださいました。

みとりびとは、いく
「年越命の村。悲しみに寄り添う」

http://mitoribito.blogspot.com/2011/02/blog-post.html

思い返せばあれから一ヶ月が経ちました。

それぞれにどう過ごしているのでしょうか。

ある種非日常的なひとときでしたが
そこで得たもの、感じたもの
それがどんな風に今の「日常」に
息づいているのか、はたまた
消えていきつつあるのか

「つながり」というのは
一期一会のようなもので
その「瞬間」に生きているもの
なのではないかと最近よく感じます。

けれど、「つながった」感覚を
自分の中で大事にし続けること
はできるのではないか。

その感覚があるから、またひとと
つながろうと思えるのかもしれない

「無縁社会」「孤族」といった言葉が
社会を反映しているかのようやけれど
それでも「希望」はあるんだと
信じて、一歩、そしてまた一歩
進みたい。

2011年1月4日火曜日

無事に村を閉じました














大阪のお寺 應典院/大蓮寺で

「年越いのちの村」を大晦日から元旦にかけての

一泊二日、開村しました。

参加者はボランティア含めて25名になり

大勢であたたかい年越しを送ることができました。

東京で沖縄料理屋を営むおばぁから届いた沖縄そばでの
年越そばや、睡眠時間1.5時間で食事係がつくってくれた
お雑煮におにぎり。

おいしいご飯を共に囲むだけでもつながりを感じ
秋田住職の新年のお話により、さらに自分を他者を
関係性を見つめる機会になりました。

報告は改めてきちんとまとめたいと思うのですが
ひとまず、無事に開き、閉じることができたことに
心から感謝いたします。